中野区の中心として発展した「中野」駅周辺が「100年に一度」の街づくりで目指すさらなる飛躍

中野区の中心地「中野」駅周辺がむかえる変化のとき

駅ビル工事などが進む「中野」駅北口
駅ビル工事などが進む「中野」駅北口

中野区は都心の西側、武蔵野台地の中心付近に位置し、新宿区、渋谷区、豊島区などと接している。中野区の人口は約33.6万人、世帯数は約21.2万世帯を数え、東京23区内でも拠点のひとつだ。

中野区の中心地となる「中野」駅にはJR中央線と東京メトロ東西線が乗り入れる。「新宿」駅へはJR中央線快速で1駅、最速4分と近く、都心部へのアクセスの良さから古くから住宅地として発展してきた。「中野」駅周辺には「中野区役所」や「なかのZERO」などの公共施設や文化施設が集まるほか、「中野ブロードウェイ」や「中野サンモール商店街」、2023(令和5)年7月に閉館した「中野サンプラザ」などの長くこの地で愛されてきたショッピング・文化施設も集まる。公園と複合施設からなるにぎわい拠点「中野セントラルパーク」も近い。

東京都都市計画区域マスタープランで「中野」駅周辺は中枢広域拠点域のひとつに位置付けられている。中枢広域拠点域は商業、教育、カルチャー・交流、生活拠点などの多様な機能が集積し、中枢業務機能を支える役割を担うとされており、今後もさらなる発展が期待できる。「中野」駅周辺では今、『100年に一度』といわれる複数のビッグプロジェクトが進められており、その変化に注目が集まっている。

江戸時代に由来する「囲町」

中野四丁目の犬の像
中野四丁目の犬の像

江戸時代の中野は青梅街道沿いの農村であった。徳川綱吉が生類憐れみの令を出した際、現在の「中野」駅周辺に野犬を世話するための「お囲い犬屋敷」が設けられた。「お囲い犬屋敷」は約30万坪と広大な面積を持ち、今の「なかのZERO」付近に「一の囲」、「中野」駅の北側に「二の囲」から「四の囲」、「中野」駅南側と中野三丁目が「五の囲」となっていた。中野四丁目の旧町名、囲町はこれに由来するものだ。また、中野四丁目には「お囲い犬屋敷」にちなんだ犬の像も設けられている。

徳川綱吉死去後は、徳川吉宗によって「五の囲」付近に桃園が開かれ、行楽地としてにぎわった。「桃園商店街」や「中野区立囲桃園公園」などの名はこの桃園に由来する。

明治~大正:『中野』駅の開設と駅周辺の都市化

明治維新後、現在の「中野」駅付近一帯は明治政府が管理する土地となった。1889(明治22)年に甲武鉄道(現・JR中央線)が開通すると「中野」駅も開設される。「中野」駅北側には陸軍施設が置かれ、周囲に関係者やその家族などが居住するようになったため、「中野」駅北側では明治後期には都市として発展した。

1923(大正12)年の関東大震災以降は、武蔵野台地上で地盤が良く、交通アクセスの利便性が高い街として、都心部から移住する人が急増、商店街も形成されるなど、駅周辺の市街地化が急速に進んだ。

昭和~平成:「中野四季の都市」誕生で生まれ変わる

多くのコンサートや舞台の公演が行われていた「中野サンプラザ」
多くのコンサートや舞台の公演が行われていた「中野サンプラザ」

1931(昭和6)年、月賦販売商「丸二商会」の青井忠治氏が独立し「丸井」を開店。中野は現在も続く百貨店「丸井」創業の地となった。現在も「中野」駅南口には「マルイ中野」がある。

1966(昭和41)年には営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線が「中野」駅に乗り入れを開始、同年には「中野ブロードウェイ」も開業している。さらに、1973(昭和48)年にはコンサートホールや結婚式場、ホテルが入る「中野サンプラザ」もオープンし、中野は文化の発信地としても知られるようになる。現在は、2023(令和5)年7月にその長い歴史にピリオドを打ち、再整備を待つ形だ。

2001(平成13)年「中野」駅北口付近にあった「警察大学校」が府中市に移転し、広大な跡地で再開発が行われた。「中野四季の都市」と名付けられた新しい街は2012(平成24)年から順次完成を迎え、オフィスビル「中野セントラルパーク」のほか「早稲田大学中野キャンパス」、「明治大学中野キャンパス」、「帝京平成大学中野キャンパス」といった教育施設や、緑豊かで防災機能も持つ「中野四季の森公園」が誕生している。これにより「中野」駅前の街並みは大きく変化し、多機能で過ごしやすい空間となった。

さらなる進化を目指し「中野」駅周辺で進行する複数のビッグプロジェクト

開発プロジェクトの一部はすでに「中野四季の都市」として完成
開発プロジェクトの一部はすでに「中野四季の都市」として完成

現在、「中野」駅周辺は「東京の新たなエネルギーを生み出す活動拠点」と位置付けられ、全11事業からなる開発プロジェクトが進められている。これらの事業で、交通の要衝としての機能を強化するとともに、ショッピング施設やオフィス、文化施設を集め、東京の新たな複合拠点を目指す。さらに、中野区の玄関口にふさわしい良好な景観を形成し、土地を高度利用して、ゆとりある歩行者空間やイベントにも使える広場も整備する。

対象地区は「中野」駅周辺の中野二丁目、中野三丁目、中野四丁目、中野五丁目全域と中野一丁目の一部、約110ヘクタールでそれぞれの地区の個性に合わせて街づくりを進めていく。全プロジェクトの完了は2029(令和11)年度が予定されている。

囲町東地区では再開発が進行中

「中野」駅付近、中野四丁目の約2ヘクタールでは三井不動産レジデンシャルと三井不動産によりマンション、オフィスビル、ショッピング施設からなる3棟のビルを整備する再開発が進められている。対象地区の北側は先行開発である「中野四季の都市」が隣接、「中野」駅の北口では新北口駅前広場整備が進められており、中野区でも多くの事業が行われている場所だ。さらに「中野」駅とペデストリアンデッキで直結予定。

当街区は、中野駅周辺地区まちづくりグランドデザインにおいて、緑豊かなうるおいを形成する中野四丁目地区に位置しており、隣接する緑豊かな公園を併せ持つ「中野四季の森公園」や「中野区立囲町ひろば」との緑の連続性を考慮したランドスケープが形成される予定だ。駅前にいながらも穏やかなひと時を楽しむことが出来る空間になっていくだろう。

整備されるマンションは一定戸数をファミリー向けとするほか、居住面積水準の向上を図り、子育て環境に配慮するという。完成は2025(令和7)年12月が予定されている。

「中野区役所」新庁舎、駅ビル整備、「NAKANOサンプラザシティ」など注目事業が続々

「中野」駅周辺では他にもビッグプロジェクトが進む。「中野区役所庁舎」の建て替えが2024(令和6)年6月を目指して進行中。「中野」駅では西側の南北自由通路と橋上駅舎整備、駅ビル新設が行われ、2026(令和8)年に完成する予定だ。

現在の「中野区役所」と「中野サンプラザ」の跡地には「NAKANOサンプラザシティ」として、ホールやシンボルタワーを建設する計画も進んでいる。また、「中野」駅北口では新駅前広場が2029(令和11)年完了を目指して順次整備されるほか、「中野」駅南口でも中野二丁目地区再開発などが行われている。

数多くのプロジェクトで魅力を増しつつある「中野」駅周辺。その変化から当分は目が離せなさそうだ。

中野区の中心として発展した「中野」駅周辺が「100年に一度」の街づくりで目指すさらなる飛躍
所在地:東京都中野区