高田馬場に根づく、地元に愛される名画座「早稲田松竹」
1951(昭和26)年に開館した「早稲田松竹」は、都内でも数少ない名画座だ。高田馬場の歴史をつないで今に伝える外観は、開館当時とほとんど変わらない。時代と共に変わりゆく街の中で、こだわりを貫き今もなお地域に愛される施設である「早稲田松竹」から、高田馬場の街はどのように映っているのか。
今回はそんな高田馬場の地域の魅力や、映画館で映画を観ることの醍醐味について、支配人である平野大介さんにお話を伺った。
開館から70年以上の歴史がある名画座
――今では数少ない名画座として知られる「早稲田松竹」ですが、まずは今日に至る経緯や概要、特徴について教えてください。
平野さん:当館は、1951(昭和26)年12月21日に開館しました。館内の設備については時代に合わせ、またお客様が快適に映画を楽しめるように手を入れていますが、建物自体は変わっていません。以前、郷土資料館で開館当時の写真を見せてもらったことがあるのですが、現在の建物とまったく同じでした。
平野さん:旧作が中心の名画座になったのは1975(昭和50)年からで、現在は毎日2本立ての上映、プログラムは1週間単位で変わります。1つのスクリーンで、2本の作品を交互に上映するスタイルです。全国的に見ても2本立ての映画館というのは珍しく、都内では当館を含めてわずか4館しかありません。さらに当館のように、作品によって35mmフィルムで上映する映画館はより稀有な存在でしょう。
――今は、手元のスマートフォンでも映画を楽しめる時代ですが、“映画館で映画を観る”ことの魅力というのはどのようなものですか?
平野さん:昔と比べると、家庭用テレビもかなり大型化しましたが、それでも映画館のスクリーンの迫力や音には敵いません。それに映画を楽しむことに特化した空間ですから、作品をより深く楽しむためにはこれ以上ない環境で、体感できることに違いがあります。映画館で映画を観たことがない方にはぜひ、ここでの特別な時間を体感していただけたらと思います。
さまざまな人に愛される映画館を目指して
――「早稲田松竹」で上映されている作品について、どのような基準で選定されているのでしょうか。
平野さん:選定の基準はありません。スタッフが面白いと感じたもの、1つでも印象的な何かがあった作品であれば新旧、洋邦問わずに検討して上映しています。私たちとしてはさまざまな方に来ていただける映画館でありたいという気持ちがありますので、あえて選定基準を設けないようにしています。
上映作品を決めるのは、話題作はもちろん、リバイバル作品なども常日頃から観ている2名のスタッフです。作品を観る審美眼だけではなく、館の雰囲気、客席の反応にも注目して、それらの要素も参考にして上映する作品を決めています。
――実際に利用されている方はどのような方が多いでしょうか。
平野さん:アンケートを取っているわけではないので、この街に住んでいる方なのかどうかはわかりません。個人的な印象としては、地元の方は意外に少ないのかもしれないと感じています。
年代層は幅広いですが、プログラムや時間帯によってある程度の傾向があります。平日の午前中はシニアが多く、夕方になると学生や会社帰りと思われる40~50代の方が来館されます。その一方で、どんなプログラムでも来ていただけるリピーターの方もいて、多くの方にご来館いただき、今の「早稲田松竹」が成り立っています。
――リピーターの方とのエピソードや、お客様の感想などがあれば、お聞かせください。
平野さん:お客様と話をしたり、感想を直接伺ったりする機会はあまりないのですが、やはり「今日の作品はよかったです」というお声を聞くと、うれしいものです。
コロナ禍で3ヶ月ほど休館していた時期がありましたが、このまま閉館してしまうのではないかと心配された方が多くいらしたようで、営業再開を発表したときは非常に大きな反響がありました。温かく見守ってくださっている方の多さに、ありがたく、そしてうれしく思います。
学生の街ならではの地域交流
――休館と言えば、2002(平成14)年3月にも一時休館されていますね。その際「早稲田大学」の学生を中心に、「早稲田松竹復活プロジェクト」が発足し、復活を願う署名活動があったと聞いています。学生街ならではの出来事と思いますが、当時の様子などお伺いできますでしょうか。
平野さん:その当時はまだ私はここに在籍していませんでしたが、当時の休館は運営体制を整えるためのもので、営業を再開することは決まっていたそうです。当時は現在のようにSNSやインターネットで情報が行き交うような時代ではありませんでしたので、「休館」というワードだけが先走り、お客様に誤解が生じてしまったようです。
ただ誤解であったとしても、再開を願い署名活動まで行われたということについては、私たちとしてはもちろん感謝していますし、本当にありがたく思っています。
――そうだったのですね。今でも「早稲田大学」の学生さんの作品を上映したりなど、交流の機会があるようですね。
平野さん:脚本から撮影、編集、さらに興行まで手掛けるゼミ活動が「早稲田大学」にあり、その活動に当館も加わって、作品を上映することになりました。コロナ禍で中断していた期間もありますが、今後も回を重ねながらより地域に根付いたイベントにしていけたらと思っています。
参加学生の中には、当館で働きたいと言ってくれる学生さんもいました。あいにく欠員がなかったため実現しませんでしたが、「映画館で観る映画」を知らない人も増えている若い世代にこうして注目されるというのは、私たちとしてもうれしい限りです。
このように「早稲田大学」の学生との交流はあるのですが、実は「高田馬場」駅からバスを利用される方が多いので、お客様の中にはそこまで学生さんは多くありません。先ほどのゼミ活動に携わった学生さんの多くはお友だちに声がけすると思いますから、これをきっかけに当館の存在を知ってもらえたらと思います。
「高田馬場」で育ち、育てられた映画館
――1951(昭和26)年から長きに渡り営業されてきましたが、改めて、この高田馬場エリアについて聞かせてください。
平野さん:駅の周辺は商業施設が立ち並び、買い物に困ることはなく、鉄道のアクセスも大変便利です。一方で、通りを一本折れると閑静な住宅街があるので、住みやすい街だと思います。
平野さん:私がまだ高校生だったとき、この街には映画館が5館もありました。現在、営業をつづけているのは当館だけです。街の規模が大きな新宿と池袋に挟まれているなかで、名画座としてのスタイルを崩さずによくやってこられたと思いますが、別の見方をすれば、スタイルを変えずに受けて入れてくれた街がこの高田馬場だったとも言えますね。
――維持していくため工夫されていることはありますか?
平野さん:建物は古いですが、少しでも快適に映画を楽しんでいただきたく、できる限り手を入れてきました。2本立てとなると4時間近くも座っていることになりますから、座り心地のよいシートを採用するだけでなく、シート同士の間隔も詰め過ぎないようにしました。
また、正月はこの一帯の商店はほとんど閉まり静かな街になりますが、そんな中当館は営業しています。静かな街に人がいることで安心される方もいると思います。小さなことかも知れないですが、地域の映画館として、さまざまなつながりを大切にしていきたいですね。
――最後に、高田馬場エリアにこれから住むことを検討されている方に、メッセージをお願いします。
平野さん:新宿や池袋のような喧騒はなく、人とのつながりは強いものがある街だと感じます。何でもそろう便利な街でありながら、通りを一つ折れると閑静な住宅街が広がっているなど、落ち着きのある一面もあります。飲食店が多いので、いろいろなところで美味しい料理を味わうことができ、さらにアクセスもよいので、住みやすくおすすめの街だと思います。
早稲田松竹
支配人 平野大介 さん
所在地:新宿区高田馬場1-5-16
電話番号:03-3200-8968
URL:http://wasedashochiku.co.jp/
※この情報は2024(令和6)年4月時点のものです。