スペシャルインタビュー

武蔵小金井で紡がれた思いを代々継承する、レストラン「TERAKOYA」

「武蔵小金井」駅南口から徒歩5分ほど、住宅地の細道を進むと大きな洋館が目に入る。表札には「TERAKOYA」という和風の名前が刻まれているが、ここはフランス料理をベースとしたレストラン。地元の人であれば誰もがその名を知るほどの存在であり、冠婚や記念日などの席でよく利用されている。

この店のシェフ、間 光男(はざま みつお)さんは、ここに生まれ育ち、創業者である祖父や二代目の叔父からフランス料理の英才教育を受け、20代にしてシェフを任された美食のサラブレッドだ。「同じ料理は二度出さない」というポリシーで、日々新しい、斬新な料理を提供するさまは美食家の間でも注目を集めており、東京のみならず全国、海外からも予約が舞い込む、知る人ぞ知る“美食の殿堂”でもある。

今回はそんな間シェフを訪ね、店の歴史や料理に傾ける熱い思い、生まれ育ってきた地元小金井への思いについて幅広くお話を聞いた。

「TERAKOYA」間 光男(はざま みつお)シェフ
「TERAKOYA」間 光男(はざま みつお)シェフ

始まりは、芸術家だった祖父のアトリエから

――まずは、テラコヤの歴史についてお聞かせください。

間さん:まず、レストランを始める前からのお話になりますが、1936(昭和9)年に祖父がこの地にアトリエ兼自宅を建てたことが始まりとなります。

祖父は戦前、洋画家をしており、若い時には絵の修行としてフランスに行っていました。彼はまた、食べるのも飲むのも好きだったものですから、そちらもだいぶ楽しんで帰ってきたそうなんですね。そして、この小金井という場所を終(つい)のすみかと定め、現在のこの場所に、自宅を建てたということです。

ただ、その頃は、間もなく戦争が始まるという時代で、洋画を買って優雅に愛でるような時代ではなくなってしまっていたんですね。祖父はこういう時代に、絵を描き売って生計を立てていくというのは難しいだろう、と思ったようです。

「TERAKOYA」入り口
「TERAKOYA」入り口

そして彼は、戦争が終わったその時、世の中でもっとも求められていた「食」の道に進もうと心を決めました。中でも、自分がフランスで慣れ親しみ覚えてきた食文化というものを、日本の皆さんに伝えていければということで、レストランを始めることにしたのですね。

最初はこの場所ではなく、都心で始めたそうです。戦後2、3年経ったころ、日本橋に共同経営者と一緒にレストランを始めたと聞いています。

しかし、当時は人の心も荒んでいたものですから…、これは祖母から聞いた話ですが、いろいろ騙されてしまったようなのですね。それで、投資したものもそこに残したまま、小金井に戻ってきまして、何も無くなったところからまた新たにお店をやろうということで、第一歩を踏み出したということです。それがおそらく、1950(昭和25)年頃のことかと思います。

覚悟を決めた、開業の年

今に至るまで、さまざまな思いが受け継がれている
今に至るまで、さまざまな思いが受け継がれている

間さん:いま、「TERAKOYA」は1954(昭和29)年を創業の年としていますが、実は、お店が開業した年ではありません。祖父がこのお店一本でやっていこうと決めた「覚悟の年」を創業の年としたようです。

今でこそ、周辺には住宅地が広がり、多くの人も住んでいますが、当時はまだまだ、私が子供のころでさえ、畑がたくさんあったような場所でした。飲食店をするには非常に難しい立地ではありましたが、知り合いや一度いらした方々の口コミで、少しずつ評判を呼びまして、なんとかやっていけるようになったと、そのように伝え聞いています。

「TERAKOYA」開業時の周辺の様子
「TERAKOYA」開業時の周辺の様子

ウェイティングルームに創業時の写真がありますが、ここは当時としてもなかなか大きな洋館でして、その洋館の部分を残しつつ、昭和40年代に増築をし現在の形になっています。

敷地内には、日本庭園や4つの茶室がありますが、これも茶人である祖母と、建築も含め幅広く“芸術”が好きだだった祖父とが、一緒に少しずつ整えてきたものです。

長年整えられてきた、日本庭園の様子
長年整えられてきた、日本庭園の様子

――おじい様はなぜ、小金井に「終のすみか」を作られたのでしょうか?

間さん:おそらく、甲武鉄道(現在の中央線)があったからだと思います。一本で「東京」駅まで行くことができますし、私どもの家はもともと、岐阜の中山道沿いにある街で商家をやっていた家系のため、名古屋まで通じた中央本線には「この鉄路の先には自分の実家がある」という思いもあったのだと思います。

25歳の若さでシェフに抜擢される

――シェフに就任されたのは20代と聞きました。若くして店を任されたのですね。

間さん:25歳の時に代替わりをしました。それが1991年~92年のあたりだったかと思います。その時はバブルの崩壊の直後で、いわゆる「失われた30年」を、シェフとして、社長として営んできているんですね。

初代は祖父で、2代目は私の父の弟が務めていたのですが、祖父はどういうわけか私を3代目にしたかったようです。私が2つ3つの時から、「お前がやれ」ということで、ひざの上で暗示にかけられてきました(笑)。私は19歳でこの道に入りまして、それから6年びっちりと叔父の下で、「TERAKOYA」としての40年間の仕事を教わりましたので、その部分は継承していると思っています。

華やかながらも、どこか落ち着きを感じられる外観
華やかながらも、どこか落ち着きを感じられる外観

当時はちょうど時代の節目で、情報、食材、流通といった技術が飛躍的に向上した時期でした。フレッシュなフォアグラやトリュフがどんどん日本に入ってくる、あるいは、紹介されなかったような調味料などもどんどん入ってくる時代になっていたので、そういうものをひとつひとつ取り入れ、研究をしながら、自分の料理に昇華させていきました。ですから、ある意味「独学」と言えるのかもしれませんが、それは今も続いています。毎日が勉強ですね。

「TERAKOYA」の料理は『伝統と革新』

――ここまで様々な変化もあったかと思われますが、「TERAKOYA」としての変わらない部分、時代に合わせて変えている部分を教えてください。

間さん:やはり人間は、「食べるもの」に対して、ある主の保守性を持っているんですね。たとえば「おふくろの味」や、「郷土の味」といったように。こういったトラディッショナルなものの価値というものを、大切にしたいと思っています。

そして同時に、人間は、探究心や新しいものにチャレンジしたいという気持ちも持っているわけですね。「食べたことがないものを食べてみたい」「これはどうやって作っているんだろう」という部分です。これは知的好奇心を満足させたい、新しいものを知りたい、という憧憬でもあると思います。

この二つについて、私は「伝統と革新」と常に言っていますが、この「伝統と革新」がいまの「TERAKOYA」の料理の柱になっています。

「伝統と革新」が柱となっているTERAKOYAの料理
「伝統と革新」が柱となっているTERAKOYAの料理

たとえば、ひとつのコースの中で、クラシックばかりですと、お客様は「面白みが無い」と感じられるし、逆に新しいものばかりですと、お客様はなんとなく落ち着かないんですね。ですから、つねに革新的な料理や技術を開発しつつも、トラディショナルへのリスペクトは忘れないようにして、「新しいもの」と「伝統的なもの」の両方を適材適所、ひとつのコースの中に入れ込みながら、料理を仕立てていくということを心がけています。

時代の「一歩先」を歩み続けるために

――その考え方が、「同じ料理を二度出さない」という唯一無二の個性に結びついているのですね。

間さん:私は、「一生涯勉強をし続ける」ということが大事だと思っているんですね。同じものを作り続けていても、時代は流れていきますので、自分は「同じところにとどまっている」と思っていても、実はそれは「取り残されている」わけです。時代のスピードと同じように歩いてようやく、「自らの場所にとどまっている」わけですね。

同じメニューが、2度お皿に乗ることはない
同じメニューが、2度お皿に乗ることはない

その先を求めようとすると、時代よりももっと速いスピードで歩かなくてはいけない。そのためには、技術の革新も必要ですし、勉強をし続けなければいけない。私はそういった自戒も込めて、皆さまに「同じ料理を作らない」ということを申し上げているわけですね。

――食材や調理に関して日々探究を続けられているかと思いますが、食材とはどのような向き合い方をされていますか?

間さん:基本的に、お魚などは豊洲から、長年付き合いのある信頼のおける仲買いに目利きをしてもらっています。農場などは、契約農家なども幾つかございますので、そういったところからなるべく仕入れています。

食材というのは、もちろん「名生産者」ですとか、「腕のいい漁師さん」というような考え方もありますけれども、私どもの役割というのは、「TERAKOYA」の門をくぐった食材に関して、そこからどうやって料理人として関与していくかという部分だと思っていますので、もちろん素材を目利きすることも大切なんですが、私はそれ以上に、料理人の本分である「調理の技術」というものに重きを置いています。

新しい料理を生み出す3つのアプローチ

――調理にあたっての心構え、こだわりについてお聞かせください。

間さん 私は、新しい料理を生み出すには、3種類のアプローチがあると考えております。まずひとつは、「機械的なアプローチ」です。「マシナリーアプローチ」とも言っています。これは、今までになかったような調理器具や調理機械を開発して、「その機械なくしてはできない調理法」を生み出していくということですね。メーカーさんと機械の共同開発などもしておりまして、いろいろな特許の取得なども行っています。

ふたつ目は「バイオ的アプローチ」、つまりバイオテクノロジーを使ったものです。これはたとえば、有用な、食用のカビや菌、酵母といったものを使って、新しい食品や新しい料理を作っていこうというアプローチですね。

そしてもうひとつは、「ケミカルアプローチ」です。これはたとえば、テクスチャーを変えたり、ゼラチンのように固めたり、膜を作ったりという食品技術になりますが、そういったものを、「ガストロノミー」、つまり私達のような「美食」の世界に取り込んで、今までになかったものを作ってみる、ということを試みています。

この3つを組み合わせて、私は、新しい料理というものを常に考えています。

近年は個人需要にシフト、「記憶に残る食事の席」に

厳かな雰囲気も感じる、洋館の内観
厳かな雰囲気も感じる、洋館の内観

――実際にお店に来られる方の客層や、利用シーンについて教えてください。

間さん これは、本当にこの30年で様変わりしました。かつては企業の接待などの利用が中心でしたけれども、平成の後半から令和にかけては、ご自分たちの誕生日や、ご結婚の記念日、お祝い事の席など、個人でご利用の方が、人生の節目となるような食事の会で選んでくださることが多くなっています。これは、私個人としても、レストランとしても、非常に嬉しいことだと思っています。

そういった節目の食事というものは、おそらく皆さん、ずっと先まで覚えていてくださると思うんです。そういう「記憶に残るようなお食事会の場」として、「TERAKOYA」を選んでくださっていることは、料理人としての冥利に尽きますね。

――シェフご自身、そのような方向性で経営をしてきたのでしょうか。

間さん 私が代を引き継いで、この30年というのは、まさに、接待需要から個人需要へとの変革期だったと思います。ですから、私自らが意識してきたというよりは、時代のニーズがそうなってきて、私どももそのニーズに合わせて、そういう人たちに喜んでいただけるようなお食事づくりを心がけてきた、その結果であると思います。

――客層が変わったこの30年で、料理や接客のスタイルも変わりましたか?

間さん 20世紀までは、料理というのは「国」でセグメントされていて、たとえば、「フランス料理とはこうあるべきだ」という概念があったのですが、それが2000年代に入ってから変わりましたね。

私は、料理というものは本質的に「人」につくものだと考えています。同じフランス料理にしても、Aさんの作る料理、Bさんの作る料理では違うわけですね。そういった、個人の名前や考え方、あるいは哲学で、料理も語られるという時代に、特に2000年以降に、大きくシフトしてきたと感じています。

間シェフの「食」を、存分に楽しめる
間シェフの「食」を、存分に楽しめる

そういった流れの中で、私も「フランス料理だからお醤油は使わない」とか、そういった縛りは一切せずに、自分が興味を持ち、美味しいと思って「これをお客様に食べていただきたい」と思うものがあれば、どんなものでもお出しするようにしています。誰の真似をするのでもなく、とにかく皆さんに「食」を楽しんでいただきたい。そう思いながら、日々料理と向き合っております。

しかし、最初からそれだけでは疲れてしまいますので、先ほど申し上げたとおり、トラディショナルなものも適材適所に織り交ぜながら、コースを組み立てていますね。

地域の方々の役に立てる、愛されるオリーブサンド

――武蔵小金井駅の「nonowa」内のショップでは物販もされていますね。近隣に住む方にとって身近な存在となっていると聞きました。

間さん 実はかなり以前から、この本店併設のブティックと、「武蔵小金井」駅の施設の中にあるブティックで物販をしております。

いま、物販では「オリーブサンド」という商品が売れ筋です。「テラコヤのオリーブサンドを買って、今日はどこどこの友人のところに持っていくのよ」とか、「美味しいからみんなに紹介をしてあげたいと思って」といった言葉を、物販スタッフを通して皆さんからお聞きしていると、私は本当に嬉しい気持ちになるんですね。ああ、小金井にお住まいの方々のお役に立てているんだなと。

人気のオリーブサンド
人気のオリーブサンド

私は、飲食店というものは、その街の大切な「インフラ」だと思っているんです。「私の街にはこういうレストランがある」ということは、住んでいる皆さんのお手伝いにもなりますし、ある時は、もしかしたら街の価値を上げることに寄与できているかもしれないわけですね。

中央線で分断されていた街がひとつに

[武蔵小金井駅
[武蔵小金井駅

――シェフは生まれも育ちもこの地ということですが、武蔵小金井の街の移り変わりについて、どのように感じられますか。

間さん まず、駅前がすっかりきれいになりましたね。昔は小金井と言えば「開かずの踏切」で有名で、中央線が行ったり来たりするので、踏切がなかなか開かなかったんです。中央線によって、人の流れも物流も途切れていて、北口側と南口側の街が、同じ小金井市でありながら分断されてしまっていたんですね。

これが、中央線の高架化で激変し、人やものの往来が楽になったのはもちろん、駅前の再開発も同時に行われ、マンションや新しいお店もでき、昔と比べたら格段に便利で豊かな街になったと感じています。

都心との距離はまるで“ベルサイユ”、衣食住からリフレッシュまで完結できる街

――武蔵小金井エリアの住環境としての魅力は、どのような点だと思いますか?

間さん: 私は勝手にここを「日本のベルサイユ」なんて呼んでいます。東京都心と小金井の距離というのは、パリとベルサイユの距離とほぼ等しいんですよ。電車に乗って1時間足らずの距離ですので、都心の方は1日、または半日旅行をするような気分で訪れることができますし、逆に、ここにお住まいの方が銀座などに行ってお買い物をするとしても、負担なく楽しめる距離感なんですね。

さらに言えば、知的な香りがする土地柄でもありますね。文教地区という色合いの濃い地域で、大学をはじめいろいろな学校があり、企業の研究施設なども集まっていますので、そういった意味での環境の良さもあると思います。

「東京学芸大学」など大学キャンパスも多い
「東京学芸大学」など大学キャンパスも多い

小金井はある意味、「自己完結できる街」だと思っているんですね。たとえば都心に暮らしていたら、やすらぎを求めるためには、自分の街を出なければいけないと思うのですが、ここに住めば、やすらぎはすぐ近くにあります。都内でも有数の広さの公園がありますし、ほどよく畑も残っていて、ブルーベリー摘みができる農園さんもあるんですね。

――お気に入りの場所、お気に入りの景色があれば教えてください。

間さん私はよく散歩をするので、野川沿いの道が好きですね。川沿いを歩いたり、走ったり、自転車に乗ったり、夏になれば子どもを水辺で遊ばせたりもできますから、おすすめです。

さらにずっと行けば「野川公園」に通じていますので、道すがらを楽しみながら、公園に着いて楽しんで、また川沿いを歩いて帰ってくるという環境があるのは、本当に有難いことだと思っています。

豊かな自然を感じられる「野川公園」
豊かな自然を感じられる「野川公園」

景色ということだと、ここから眺める景色がとても好きですね。「TERAKOYA」の前はすぐ段丘になっていますが、荒川から始まった武蔵野台地が、ここに来て終わるという場所なんです。古代の多摩川が台地を削って、だんだんと南に移っていって、野川はその忘れ形見なんですね。そういった土地柄ですから、地形的にも面白く、楽しめる場所だと思います。

人々が誇りを持っている街

――最後に、これから武蔵小金井に住みたいという方に向けてメッセージをお願いします!

間さん 小金井は街の人たち同士、とても仲が良いんですね。昔から代々お住まいの方も、新しく引っ越してこられた方も、分け隔てなく交流を楽しんでおられます。おそらくその根底には、この町をみんな好きでいらっしゃる、ということがあるのでしょうね。

街に誇りを持っていらっしゃるから、その誇りを棄損しないように、「みんなで協力して、街をもっと良くしていこうよ」という気運があるのだと思います。そんな素晴らしい街ですから、ぜひ皆さまにもお越しいただきたいですね。

TERAKOYA

オーナーシェフ 間 光男さん
所在地:東京都小金井市前原町3-33-32
電話番号:042-381-1101
URL:http://www.res-terakoya.co.jp/
※この情報は2022(令和4)年2月時点のものです。