弦巻エリアを散策して、歴史スポットを巡ってみました!

『プラウド桜新町』がある弦巻エリアは、関東初の高級別荘地として知られた「新町住宅地」の北側に位置しています。エリア内を歩いてみると「実相院」や「旧大山街道」ゆかりの像があったりと、その歴史を垣間見ることができるスポットが点在しています。そこで実際にエリア周辺を歩いてみて、様々な歴史スポットを巡ってみました!

世田谷ボロ市
世田谷ボロ市

物件最寄りの「桜新町」駅がある一帯は、明治末期に玉川電気鉄道が開通したことによって開発が進められました。そして「都心の軽井沢」のキャッチフレーズと共に、関東初の高級別荘地「新町住宅地」として分譲されました。物件はその北側に広がる弦巻エリアに位置し、世田谷区内でもほぼ最高地点に近い台地となっています。弦巻エリアは1930年代に土地区画整理が行われ、美しく整った街並みに生まれ変わりました。物件周辺を歩いてみると分かるように、まっすぐな道が多く、道幅もゆとりがあります。緑も多く、別荘地として分譲されたことを思い起こさせる景観が広がっています。

美しい街並み

「プラウド桜新町」周辺の道
「プラウド桜新町」周辺の道

緑も豊かです

「松丘公園」
「松丘公園」


物件目の前の通りは商店街となっていますが、江戸時代には、赤坂御門から弦巻を経て沼津宿に至る「矢倉沢往還」として、東海道の脇往還になっていました。通称「大山街道」とも呼ばれ、大山詣の旅人たちが「大山阿夫利神社」を目指して歩いたそうです。現在、通り沿いにある「大山道児童遊園」には江戸時代の旅人像が設置されており、その歴史を伝えています。ちなみに園内には、この辺りに「蛇崩川」が流れていたことから、「蛇崩川洗い場跡」の石碑も建てられています。

江戸時代に大山詣で
利用された道

物件目の前の「旧大山街道」
物件目の前の「旧大山街道」

旅人がここで一服
したとされています

「大山道児童公園」にある旅人像
「大山道児童公園」にある旅人像


また、戦国時代の弦巻エリアは吉良氏の領地でした。弦巻三丁目にある「実相院」は、1588(天正16)年に吉良左兵衛佐氏朝が開基し、晩年はここで隠居したといわれています。「弦巻實相院界わい」として「せたがや百景」にも選ばれており、境内は緑に溢れ森閑としています。その東側、弦巻一丁目にある「常在寺」は、1506(永生3)年創立とさらに長い歴史を持ち、吉良頼康の側室であった常盤姫によって開基されました。

せたがや百景に
選ばれています

「実相院」
「実相院」

弦巻は吉良氏
の領地でした

「常在寺」
「常在寺」


「実相院」のほど近くに建つ「弦巻神社」は、1908(明治41)年、弦巻にあった八幡社、天神社、稲荷社を合祀して生まれました神社です。さらに時代を遡ると、この一帯には吉良氏の居城である「世田谷城」の支城「弦巻砦」があったのだそうです。このように弦巻エリアの各所には、吉良氏の領地だった名残が点在しています。

この一帯に「弦巻砦」
がありました

「弦巻神社」
「弦巻神社」

「弦巻神社」の歴史を伝える看板
「弦巻神社」の歴史を伝える看板


無形民俗文化財に
指定されています

「世田谷ボロ市」
「世田谷ボロ市」

弦巻エリアの北東側、世田谷一丁目には「ボロ市通り」があり、毎年1月と12月の15・16日に「世田谷ボロ市」が開かれます。世田谷を代表する行事で、1578(天正6)年に小田原城主北条氏政が楽市を開いたのが始まりだそう。その後、衣服のつぎはぎや草鞋に編み込むボロが安く売られるようになって「ボロ市」という名がついたとされています。現在でもその伝統は受け継がれ、「ボロ市通り」を中心に日用雑貨から骨董品まで6~700もの露店が並んで、毎年多くの人々で賑わいます。


いかがでしょうか。このように弦巻エリアには、この地の歴史を語る史跡が点在しており、文化的な薫りもするエリアだということが分かりました。


発見ポイント!

「実相院」の境内
「実相院」の境内

  • (1)物件周辺は、別荘地のような景観が広がっている!
  • (2)「実相院」や旅人像など、歴史に触れられるスポットが多くある!
  • (3)世田谷を代表する行事で「世田谷ボロ市」が、身近なところで開かれる!