吉祥寺の中心部として発展・成熟してきた吉祥寺本町の歴史を紐解く

住みたい街として高い人気を誇る吉祥寺エリア。そのなかでも、現在“吉祥寺”を冠する、吉祥寺本町、吉祥寺北町、吉祥寺東町、吉祥寺南町の4つの町は、最も狭義の「吉祥寺」に位置付けられます。今回は、そんなエリアの中心部の一角を占める吉祥寺本町の歩みを紐解きながら、都内有数の住宅地として進化と成熟を遂げてきたこの街の魅力に迫ります。

吉祥寺本町周辺図
吉祥寺本町周辺図


■吉祥寺本町の概要
吉祥寺本町は、JR中央本線の北側に広がり、北は「五日市街道」、西は「成蹊通り」に接する三角形をした一帯で、「吉祥寺」駅北口付近には商店街や大型商業施設・文化施設などが集積しています。また、駅周辺の喧騒から少し離れた吉祥寺本町3・4丁目付近は、戸建中心の閑静な邸宅街が広がり公園なども点在しています。

こうした住むことに適したこの街の環境のルーツを探ると、古くは江戸時代以前まで遡ります。

吉祥寺駅北側に広がる
吉祥寺本町

吉祥寺駅北口
吉祥寺駅北口

駅前の賑わいを忘れる
落ち着いた環境

吉祥寺本町の邸宅街
吉祥寺本町の邸宅街


■「吉祥寺」のはじまりとなった、江戸時代の土地開発
現在の「井の頭恩賜公園」内にある井の頭池では古くから湧水があり、周辺では人々が生活を営んでいたといいます。この井の頭池は、江戸時代には「神田上水」の水源の一つとして江戸の暮らしを支えるとともに、江戸庶民の信仰の地、景勝地として親しまれました。

また江戸時代には、原野だった武蔵野台地に玉川上水が開通し、現在の吉祥寺周辺では新田開発が盛んに行われるようになり、集落が形成されていきました。さらに、1657(明暦3)年の大火で焼失した「吉祥寺」の門前町(現在の水道橋付近)の人々が、五日市街道沿いに短冊状に土地を開発して移り住みました。この人々が故郷への愛着から新天地を「吉祥寺村」と名付けた事が、今日の「吉祥寺」の始まりとなっています。現在の吉祥寺本町の整然と区画された街並みにも、当時の開拓の跡を見ることができます。

「井の頭紀行」に描かれた井の頭池
「井の頭紀行」に描かれた井の頭池

五日市街道沿いに
「吉祥寺村」を形成

1880年代の「吉祥寺村」周辺地図
1880年代の「吉祥寺村」周辺地図


■「吉祥寺」駅の開業と郊外都市としての基盤の形成
1889(明治22)年に甲武鉄道(現・JR中央線)の「新宿」駅から「立川」駅間が開通し、1899(明治32)年に「吉祥寺」駅が開設され交通の利便性が飛躍的に向上しました。また周囲では、1917年(大正6)年に日本初の郊外型公園・皇室御料地の下賜を受けた公園として「井の頭恩賜公園」が開園し、行楽地として賑わいはじめます。

関東大震災後には、「東京女子大学」や「成蹊学園」など教育施設も移転し、文教都市・郊外都市としての発展が始まりました。また、「成蹊学園」は池袋から1924年(大正13年)にこの地に移転してきました。学園周辺のケヤキ並木は、自然を感じられるスポットとして、穏やかな街並みを形成しています。

現在も多くの人で賑わう「井の頭恩賜公園」
現在も多くの人で賑わう「井の頭恩賜公園」

暮らしに寄り添う、
自然の潤い

成蹊学園前のケヤキ並木
成蹊学園前のケヤキ並木


■昭和初期から戦後復興期
昭和に入ると、周辺には「中島飛行機」など軍需工場が多数進出し、吉祥寺の人口は急増しました。終戦後1947(昭和22)年に市制が施行し、軍事工場の跡地は市民向けのスポーツ施設などに代わり、戦後復興期には多くの住宅団地が誕生。「吉祥寺」駅周辺にも多くの商店が集まるようになり、都市機能の充実が図られました。

軍需工場跡地は
市営スポーツ施設や球場に

当時“東日本一の大球場”と呼ばれた「グリーンパーク球場」
当時“東日本一の大球場”と呼ばれた「グリーンパーク球場」

人々の暮らしの活気が
溢れる街の様子

1954(昭和29)年の現在の「パルコ前交差点」付近
1954(昭和29)年の現在の「パルコ前交差点」付近


■昭和30年代以降、都市再開発を経て近代的な街へ

高度経済成長期になると、吉祥寺はさらに住宅地としての注目度を高め、街も活気を帯びます。1963(昭和38)年当時、1日の「吉祥寺」駅利用者は10万人を超え、バス路線の拠点である駅北口には500台のバスが往来したそうです。

そうした中、中央線の高架化と合わせて「吉祥寺」駅周辺の再開発が計画され、地元の商店街や市民と行政との間で多くの議論が交わされたのち、1964(昭和39)年に都市計画が決定。駅周辺の道路の拡張や、歩行者専用のアーケード街の整備、JR線の高架化による踏切の廃止などが行われ、安全で開放的な街並みが出来上がっていきました。

バスと歩行者が
行き交っていた整備前

1963(昭和38)年の「吉祥寺」駅北口の様子
1963(昭和38)年の「吉祥寺」駅北口の様子

1971(昭和46)年に
歩行者専用のアーケードに

かつては路面バスも通っていた「吉祥寺サンロード商店街」
かつては路面バスも通っていた「吉祥寺サンロード商店街」


また、商業施設の出店や地元商店街のリニューアルなども相次ぎました。大規模商業施設は吉祥寺本町内に集中し、1959(昭和34)年に吉祥寺初の大型店舗「吉祥寺名店会館」オープンを皮切りに、1968(昭和43)年に「西友」、1969(昭和44)年に駅ビル「吉祥寺ロンロン(現・アトレ)」「伊勢丹(現・コピス)」「緑屋(現・ロフト)」、1974(昭和49)年の「近鉄百貨店(現・ヨドバシ)」「東急百貨店」、1980(昭和55)年「パルコ」などが続々と開業していきました。

「伊勢丹」や「東急百貨店」といったデパートは、敢えて駅から少し離れた場所に配置され、回遊性のあるまちづくりが行われ、現在の洗練されたショッピングタウンの基盤となりました。この都市計画は、1987年(昭和62)年の北口駅前広場の開発まで続き、元々の街の賑わいや魅力を活かしながらも、「吉祥寺」駅周辺を近代的な街へと大きく変化させました。

JR中央線の高架下を
利用して誕生

1969(昭和44)年「吉祥寺ロンロン」開業時の賑わい
1969(昭和44)年「吉祥寺ロンロン」開業時の賑わい

街の回遊性にも配慮

1973(昭和48)年 建設中の「東急百貨店吉祥寺店」
1973(昭和48)年 建設中の「東急百貨店吉祥寺店」


■現在も進化と成熟を続ける吉祥寺本町
時代の変化に合わせて、発展してきた吉祥寺は今も進化の歩みを止めていません。2010(平成22)年には「吉祥寺ロンロン」が「アトレ吉祥寺」に、「伊勢丹吉祥寺店」が「コピス吉祥寺」にリニューアル。2014(平成26)年には、京王線「吉祥寺」の駅ビル「キラリナ吉祥寺」をはじめ、「LABI吉祥寺」や「ユニクロ吉祥寺店」といった新たなショッピング施設が誕生している。また大型店だけでなく、五日市街道に並行して吉祥寺本町内を通る、「中道通り」や「昭和通り」、「大正通り」沿いは“東急裏エリア”と呼ばれ、センスの良い雑貨店やカフェなどの路面店が多く、吉祥寺独自のトレンドの発信地として注目を集めています。また、駅周辺では新たに市街地再開発事業が計画されており、さらに暮らしやすい街へと進化していくことに期待が高まります。

「コピス吉祥寺」や「吉祥寺美術館」が入居するF&Fビル
「コピス吉祥寺」や「吉祥寺美術館」が入居するF&Fビル

この街ならではの
トレンドを発信

多彩な路面店が並ぶ東急裏エリア
多彩な路面店が並ぶ東急裏エリア


利便性と心地良さを
兼ね備えた街へ

バリアフリー化された「吉祥寺」駅構内
バリアフリー化された「吉祥寺」駅構内

さらに、2014(平成26)年に「吉祥寺」駅構内のバリアフリー化や南北自由通路の整備、北口駅前広場の整備が完了するなど、商業的な面だけでなく居住者や訪問者にとって利便性が高く、居心地の良いまちづくりが行われています。また、駅周辺では新たに南口駅前交通広場の整備や複合施設開発などを中心とした吉祥寺南口駅前地区再開発が計画されており(吉祥寺南口駅前地区再開発準備組合、財団法人首都圏不燃建築公社、三菱地所レジデンス株式会社)、さらに暮らしやすい街へと進化していくことに期待が高まります。


「吉祥寺」のはじまりとなった江戸時代の開拓・集落形成から今日に至るまで、吉祥寺エリアの中心部として常に変化を遂げてきた吉祥寺本町。これからも時代に応じた発展と成熟を重ねながら、この街の歴史を紡いでいくでしょう。


発見ポイント!

整然と区画された吉祥寺本町の街並み
整然と区画された吉祥寺本町の街並み

  • (1)江戸時代の開発に由来する、整然とした住宅街が広がっている。
  • (2)古くから住宅地としての注目を集め、都市としての機能の充実や基盤づくりが行われてきた。
  • (3)近年も、便利な商業施設の開業や居心地の良いまちづくりが続いている!
本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。
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